2017年5月30日火曜日

20170530 7:43


感じているものを感じていないとすることほど人の生命力を奪うことはないなと思う。

おおげさでなく、それをし続けてしまうことはわたしにとって生死にかかわるほどの多大な影響をおよぼすので、日々こまめに掃除をするように心がけているのだけれど、それでも感じないようにするクセがいまでもどうしても残っていて、不快センサーには意識して敏感でいないとなぁと常々思っている。

モヤッとしたり、楽しい気持ちになれなかったり、やる気が出なかったり、それがひとつのサイン。

今日も朝起きて、なーーーーんかモヤッとしていてスッキリせず生命力が弱まっていて(夜もよく寝れず)、しかたないのでヨロヨロと朝のさんぽにでて、太陽の光を浴びてちょっとしたエネルギーワークをして、軽く散歩していたら、ちょっとまえの自分の”モヤッ”の根っこを発見し、見つけたとたんに超スッキリ!!!

あれだったのかーーー!!と、自分でも本当にその瞬間まで無自覚だったので、やぁ、もうやんなっちゃう。

とにかく嘘っぽいのがほんと苦手なんだよなぁ・・・

あーーーー気持ち悪かった!!!!!

と、思う存分感じきって、完了。

なんかもう、ほんと、どれもちっちゃなことだしほっときゃよくない?と思ったりすることも多いんだけど、でもそのとき感じた「不快さ」は自分自身がちゃんと感じてあげないことには延々おなかに溜まりつづけるので、こういうこまめなお掃除をコツコツやってご機嫌な日々を構築していきたいものです。

にしても、この「不快」「違和感」センサーの感度は日々上がるばっかりで、まぁいいんだけど、ちょっと自分でもまだなじみきってない部分もあるので、自分のごきげん大切に、こまごま要調整、な今日このごろです。

ちなみに、この不快さというのも、他者に対するもののようで、じつはそうでなくて、ほかのだれでもない「自分が」不快さをないことにして、いい人を演じちゃったりしたときに発生するものなのだよね・・・、けっきょく^^;